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《お別れを》6

 投稿者:やすのぶ  投稿日:2019年 8月 2日(金)20時34分8秒
返信・引用 編集済
  文才があればもっと上手く詩的で原文や音楽にも適応した
訳が書けるのだろうけど、ここでは単なる意訳です:

《お別れを》
ああ、私の中から永遠に去ってしまったお前に言おう、
さようなら、さようなら、と。

もうお前には届かないだろうが私は言おう、
さようなら、さようなら、と。

お前の優しいしぐさや私への愛を思い出すと
涙が溢れずにはおれない、
さようなら、さようなら。

私とお前を引き裂いたこのさだめを恨みながら
私はさようならを言おう。

嘗て恋の咲き乱れる春の日に、
お前が私を喜んで迎え入れてくれた、
私はその時と同じ思いでお前に言おう、
さようなら。

二人の愛の息吹は時空を超え、
私はお前と共に、お前は私と共に、
今までと同じようにお前は私の中にある。
私はお前をこの腕で永遠に抱きしめるのだ。
さようなら。

http://www.cwo.zaq.ne.jp/kawasaki/MusicPot/index.html

 
 

《お別れを》5

 投稿者:やすのぶ  投稿日:2019年 8月 2日(金)11時22分36秒
返信・引用
  https://www.youtube.com/watch?v=DCOKbUKChfc

この歌にはこんなばかばかしい和訳歌詞が付いています。
それがわが国で普及しなかった最大の理由だと思います。
それは、私がHPの《くるみ割り人形》で指摘したものと
同質のものです。
まずは春秋社の歌曲選集の歌詞(たぶん遠山一行訳)ほぼ直訳調:

《私の祝福を贈る》
ああ、私とそして私の接吻から、奪い去られて行った君よ。
私の祝福を贈ろう。私の接吻を贈ろう。
私のあこがれの想いしか貴方には届かないのだが、
私の祝福と接吻を贈ろう。
愛の手から、私の心に授けられた君よ。
溢れる涙と共に私の祝福と接吻を贈ろう。

悪意を以って貴方と私の間に入り込んだ
このへだたりに逆らって、
運命の力の嫉みを尻目に、
祝福と接吻を贈ろう。

嘗て恋の咲き乱れる春の日に、
祝福と接吻であなたが私を迎えたように、
私の魂の燃えるような発露で、
祝福と接吻を贈ろう。

愛の息吹は時空を超え、
私は君と共に、君は私と共に在る。
私は君をこの腕の中に抱きしめるのだ。
祝福を、そして接吻を贈ろう。

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《お別れを》4

 投稿者:やすのぶ  投稿日:2019年 5月31日(金)10時05分51秒
返信・引用 編集済
  《鱒》の歌と変奏主題とは、そんなには変わらないけど、
この《お別れを》の方は、歌と変奏主題ではかなり違い
が見られます。
変奏主題の方が進化・深化しているというわけです。
たくさん違いがある中で最も注目されるのが、
歌の方にあった付加六度が器楽変奏では排除されている
ということでしょう。<ドミソラ>の和音です。
六度音というのは<ラ>のことで、マーラーは晩年よく
使っていますよね。
歌には8小節の前奏があり、2小節目で<ドミソ>の
和音の中に♪ソラソミドという流れが出てきます。
歌に入って、その2小節目でもピアノに♪ソーラソ
が出てきます。
変奏主題の方では、♪#ファソーミと<ラ>は出て来ません。
これは、5小節目にある『キモ』♪ドーミーラッ#ソソー
の<ラ>を強調するためだと考えられます。
それが最も強調されるのが、最後のリフレイン
♪ソーファミレミドーの部分でしょう。
歌では、なんと!このメロディーは無く、
別のメロディー♪ソーファーーシドーと歌われ
ピアノの伴奏で♪・シ・レ・ソ・ラ・ソ・ミ
と<ラ>が強調されます。

結果、歌詞の無い変奏主題の方が、歌詞の内容が強く
印象付けられるということになります。

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《お別れを》3

 投稿者:やすのぶ  投稿日:2019年 5月27日(月)21時23分29秒
返信・引用
  そういう風に考えると、この歌の単純で絶妙な和音進行
fmーCー♭E
のコード進行が、この世とあの世を結びつけるものである
ということが分かると思います。
そして、そういう風に聴かせることが出来たシューベルト
の天才のなせる業だと思います。

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《お別れを》2

 投稿者:やすのぶ  投稿日:2019年 5月21日(火)13時56分43秒
返信・引用
  この歌を失恋の歌だと解釈する見方があるようだが、
たぶんそれは間違いだ。

恋人との別れを歌ったものであることは間違いないのだが、
歌詞を検討すると、現世での生き別れを意味するものでは
無いように思う。すなわち、喧嘩別れとか、他に好きな人が出来た
から別れる(水車小屋の娘みたいなケース)といった類のものではない。
であるとすると、死が2人を割いたのだという結論に達する。
歌詞を見ると《どうしようもなく遠い距離》《時も空間も消し去り》
といった言葉が鏤められている。時空を超えてしか、もう会えないのだ。

これは、単に恋人同士だけではなく、親子関係や友人関係にも
繋がるものであると考えるべきだろう。

こういった風に考えると、あの絶妙の和音変換の意味が理解出来る
のではないだろうか。解説は当然そういったことを説明すべきであろう。

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《お別れを》

 投稿者:やすのぶ  投稿日:2019年 5月18日(土)10時31分44秒
返信・引用 編集済
  https://www.youtube.com/watch?v=xO-eUCLnvRA

この歌の題”Sei mir gegrüßt”は、直訳すると「私のあいさつ(キス)をお前に」
ということになるが、これは手紙の最後の文面にも使われる言葉で、
この曲の場合、もう会うことが出来なくなった(死んでしまった)
最愛の恋人への哀惜の歌だということは歌詞を見ると明らかである。
そうであるとしたら、邦訳の直訳調の題名では全く意味が解らない。
ヴァイオリンの《幻想曲》は、まずはそこから出発しなければならない。
ラジオの番組に歌を入れているという快挙には、少なくとも
その程度の解説を含まなければ、せっかくの企画の半分は台無しだ。

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アカペラ

 投稿者:やすのぶ  投稿日:2019年 5月10日(金)11時02分21秒
返信・引用
  ホラぼやさんにいただいた合唱曲集を聴きました。
ブルックナーは5曲。司会の曲目紹介はよく分からないので
<全集版XXI小規模宗教曲>で確認してみました。
(00)は全集版曲番と曲名です。
3.このところを作りたもうたのは神である(25:Locus iste)
4.アベ・マリア(20:Ave Maria)
5.キリストは我らのために(30:Christus factus est)
6.パンジェ・リングァ(39:Pange lingua)
7.エサイの枝は芽を出し(34:Virga Jesse)

パンジェ・リングァの後半は出所がよく分からなかった。
大津の事故。ハンドルを切らなければ2人だけのことで済んだのに・・・
悲しいときはこういう音楽を聴くといいですね。

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reマタチッチの第五/1967年

 投稿者:やすのぶ  投稿日:2019年 4月26日(金)01時33分23秒
返信・引用 編集済
  仰る通り、シャルク版がないと理解できないでしょうね(笑)
マタチッチは、シャルク版の2ヵ所の大カット、すなわちスケルツォ
繰り返し時再現部しか演奏しない(<ABA’ トリオ ABA’>
が<ABA’ トリオ A’>になる)、とフィナーレの再現部第1主題・
第2主題全部削除(374~459)86小節を採用しなかった。
しかし、622~625の4小節と325~352の28小節を
シャルク版に倣ってカットした。(なお13~14の2小節の
トレモロもカットしていない)
325~352については、シャルク版ではオーケストレイションの
変更が大きく、ゼクエンツの2小節を変更追加しているので、
原典版のままではカットできないが、マタチッチは無理やり
325のヴァイオリンのD音を353のD音に見立てて
原典版のままカットしているので、つなぎがギクシャクしています。
聴いて確認、クナと比較してください。

http://www.cwo.zaq.ne.jp/kawasaki/MusicPot/index.html

 

マタチッチの第五/1967年

 投稿者:horaboya@管理人  投稿日:2019年 4月25日(木)13時29分30秒
返信・引用
  お聴き下さり有難うございます。
やすのぶさんの解説はなるほどという部分とチンプンカンプンのところが混じってます。
それは、まだ全曲を聴いていないからというのと、ぼくが持っているスコアはハース版と音友版のみだからです。

ちょろっと聞いた時にフィナーレの再現部手前のカットが気になった記憶があります。
320~330のあたりから飛んでますよね?
 

《第五交響曲》(5)

 投稿者:やすのぶ  投稿日:2019年 4月24日(水)13時00分20秒
返信・引用
  もちろん、シャルク版のテンポが悪いと言ってるのではない。
シャルク版は充分に考えられたテンポ観を持っていて、それで
立派な演奏ができることは、クナやこのマタチッチが証明している。
しかし、もし原典版を使用したのなら音符やカットの状態だけではなく、
原典版の異様なテンポ構想に対して、指揮者としての何らかの
独自の意見を表明する必要があるのではないだろうか?
特にマタチッチのように、シャルク版と原典版を綜合し、独自の
演奏形態を作ろうとする者にとっては必須のことではないだろうか。
いわば「頭隠して尻隠さず」と言うのが、この演奏に対する僕の感想である。


http://www.cwo.zaq.ne.jp/kawasaki/MusicPot/index.html

 

《第五交響曲》 (4)

 投稿者:やすのぶ  投稿日:2019年 4月20日(土)23時05分0秒
返信・引用
  テンポに関して、この難解なテンポ構造の作品に対して
マタチッチは常識的な、シャルク版的な解釈を採っていて
何ら疑問を感じていないように思える。
それは、フィナーレのコラールの登場の場面(175小節)
で、極端に遅いテンポを採ることからも窺える。原典版
ではテンポ変更の指示は無いけど、シャルク版ではここに
Sehr breit und feierlich(非常に幅広く荘重に)と
指示されていて、それをマタチッチは忠実に守っている
からである。シャルク版のテンポ指示に従えば、原典版
テンポ指示は非常に奇妙で矛盾したものに見えるからだろう。
アダージョの[H](163小節)のところの長い指示
などはその典型だ。シャルク版では、そこにLangsamer
(より遅く)と指示されているだけである。
[H」からのテンポはマタチッチは順当なものだから、
もし原典版の指示に忠実に従えば、楽章の最初はかなり
速いテンポ(ほぼ倍速)になるはずなのに、彼は従来の
シャルク版のテンポ観から出ていないということだ。

第1楽章も不可解だが、マタチッチはほぼシャルク版の
テンポ指示に準拠しており、疑問を感じていないようだ。

http://www.cwo.zaq.ne.jp/kawasaki/MusicPot/index.html

 

《第五交響曲》 (3)

 投稿者:やすのぶ  投稿日:2019年 4月20日(土)10時20分38秒
返信・引用
  演奏に関しては、なかなか素晴らしいものであった。
なにより、ブルックナーを立体的に演奏しているのが良い。
ブルックナー演奏に求められるのは、この立体感なのだ。
先ごろ、日本の新札案が報道された。そこには偽札防止の
ための新技術が込められているということだ。その一つが
平面を立体に見せる技術。いわば、我々の子供がカードを
集めることに夢中になっていた時代があったが、そのカード
の中でそういう技術が発展したのだろう。

僕の『近景・中景・遠景論』も、この音響の立体化のための
方策の一つと考えていただければ良いように思う。
極端に音圧の違うオーケストラの各楽器群を、どのような
バランスで配置するかという問題について考察したものである。

要するに、ティンパニや金管群が他を圧するような音響からは
立体感が生まれないということだ。と同様、メロディー(と
目される木管群)と伴奏(弦楽器群)とのバランスも重要だ。
ブルックナーにおいては、メロディーも伴奏も区別は無いと
いうことが重要視される。そういったことを理解・実践して
いる指揮者が立派な「ブルックナー指揮者」だということだ。
マタチッチは、そういった面で確かに非常に立派な
「ブルックナー指揮者」であると言えるだろう。



http://www.cwo.zaq.ne.jp/kawasaki/MusicPot/index.html

 

《第五交響曲》 (2)

 投稿者:やすのぶ  投稿日:2019年 4月19日(金)22時20分46秒
返信・引用
  (2)フィナーレのコーダ
この録音では、バンダを使っているのかどうかは分からない。
しかし、ティンパニやシンバルはシャルク版を参考に独自の
使い方をしている。トライアングルはよく分からなかった。
ただ、ここで注目すべきはシャルク版にある622~625
の4小節のカットを採用していることだろう。これは
マタチッチの他の演奏でも見られるそうだ。
現行のオーケストレイションでは原典版でもこの4小節は
カットすべきだと思う。カット無しで演奏しようとするなら
オリジナルコンセプツでやったようなオーケストレイション
の追加をすべきだというのが僕の考え方である。

http://www.cwo.zaq.ne.jp/kawasaki/MusicPot/index.html

 

《第五交響曲》

 投稿者:やすのぶ  投稿日:2019年 4月19日(金)21時42分58秒
返信・引用
  頂いたマタチッチN響の1967年11月22日の演奏。
半世紀以上前のものだ。マタチッチの《第五》はいろいろ
と手を加えているので有名だ。それもやるたびに変わるらしい。
この演奏はどうかな?
基本原典版を使っているようだ。
しかし、いろいろと手が加えられていて油断ならない。
細かいところは、いろいろ楽器を重ねたりしているようだけど
それらはよいとして、2か所を検討してみよう。
(1)アダージョの終止
ここではシャルク版を使っている。ノーヴァク版の再版が
出たのが1989年で、そこの序文にこの箇所の筆写譜へ
の別稿が述べられているが、そのことはずいぶん昔から知
られていたようで、それを取り上げようとしたのだろう。
ところが、その筆写譜を演奏せず、ここではシャルク版の
ママが演奏されている。マタチッチは筆写譜を参照しなかった
のだろう。シャルク版と筆写譜が違っているという認識が
当時には無かったのかもしれない。
ただ、この部分だけをことさら変えているのは筆写譜の存在
という知識だけが先行したからではないだろうか。
とにかく、オーボエが追加され、最後の音は長く延びている。

http://www.cwo.zaq.ne.jp/kawasaki/MusicPot/index.html

 

マーラー《第1交響曲》フィナーレ

 投稿者:やすのぶ  投稿日:2019年 4月14日(日)20時52分14秒
返信・引用 編集済
  http://www.cwo.zaq.ne.jp/kawasaki/MusicPot/link.htm

↑フィナーレの分析をあげました。

http://www.cwo.zaq.ne.jp/kawasaki/MusicPot/index.html

 

Re: ブルックナー《第一交響曲》

 投稿者:horaboya@管理人  投稿日:2019年 4月13日(土)17時42分22秒
返信・引用
  > No.4272[元記事へ]

こんな報告がありました♪
https://ameblo.jp/tk-sn579
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
第1楽章、第4楽章はへんてこな所が結構あった
隣の席の方などは、演奏が終わった途端に笑い転げていた
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
 

ブルックナー《第一交響曲》

 投稿者:やすのぶ  投稿日:2019年 3月26日(火)22時29分1秒
返信・引用
  トーマス・レーダーという《第三》の校訂報告を出版した人が
数年前に出した、リンツでの『リンツ稿』によるとのことです。
私はまだ購入出来ていないので何とも申せませんが、
以前キャラガンが初演のパート譜から復元したことがありました。
フィナーレがかなり違いましたが、それは朱夏さんも聴いておられる
と思います。それと同じような試みなのかもしれません。
なお、これとは別に、初期のアダージョとスケルツォもありますが
それかも知れませんね。

 

ブルックナー1番

 投稿者:朱夏  投稿日:2019年 3月26日(火)16時16分17秒
返信・引用
  4月の東京シティフィルの、 ブルックナー1番と言うのは、どういう楽譜ですか?
 

10年前の真相

 投稿者:朱夏  投稿日:2019年 3月26日(火)14時26分36秒
返信・引用
  過去ログを見ました。ここで質問したのは、ボッケリーニとブラームスの二曲だったようです。
新しい質問への答もお願いします!



 

続き

 投稿者:朱夏  投稿日:2019年 3月26日(火)11時27分58秒
返信・引用
  これは何でしたっけ? 日本の映画(?)の挿入曲です。アニメかもしれません。
ジブリくさいような気がして、もしそうなら、久石?
冒頭ですが、ソロの演奏かと思います。有名な曲ではないかと。

ソソソソファソ(上へ)ド(下へ)ソ。
 

ごぶさたしています

 投稿者:朱夏  投稿日:2019年 3月23日(土)14時15分28秒
返信・引用
  二年前に入院、去年5月に退院しました。
その後、ちらっと覗いて以来でしょうか?

またまた、つまらない質問を。この有名な曲、題名は何でしたっけ?
ドーミーソー(ここから下へ)ファファーファ、ファミ(上へ)ファソ(下へ)ミ。
サビ、(上から)ドーラソファファー
次に、これも有名な曲。
ドファソラファドレドー……ラファドだけ下向き。よくソロコンで演る曲です。
 

マーラ-《第1交響曲》フィナーレ

 投稿者:やすのぶ  投稿日:2019年 1月29日(火)11時05分28秒
返信・引用 編集済
  しかし、この動画は本当にブダペスト稿なのか?
1月27日に挙げたところあたりが少し疑問になります。
で、以下の分析は僕のHPで述べることとしましょう。

ところで、この第1主題は第1楽章の311小節から
ヘ短調でそのまま現れます。デジャヴュ感ありありの
処置だと思います。

déjà-vu=déjà(既に)vu(見た)=既視感

逆に言うと、第1楽章の夢がフィナーレで現実になる
といった構図なのかも知れません。そういえば、曲頭の
4度下行の連続は、ブラームスの《第2》フィナーレ
234小節からの引用だとよく言われますが、これが
結局フィナーレコーダの主題であるし、47小節からの
チェロの蠢きは葬送行進曲を強くイメージさせます。
そしてフィナーレ第2主題は《ブルーミネ》・・・

こういったことも含めて、先に述べた「輪廻転生」的な
考え方をこの音楽の中で表現しているんではないかなと
考えます。とにかくブルックナーの主題回帰とは違った
デジャヴュ感がこの曲の特徴だと思います。

http://www.cwo.zaq.ne.jp/kawasaki/MusicPot/index.html

 

マーラー《第1交響曲》フィナーレ

 投稿者:やすのぶ  投稿日:2019年 1月27日(日)23時12分53秒
返信・引用
  次に違うところは、動画の21分10秒あたりから、
全集版では443小節から数小節。これはこの交響曲
のどこにもないような音楽だ。すぐに音楽は全集版の
流れになる(448小節から)。しかし、458小節
からはまた違う音楽に変わる。こちらは全集版の第2主題
の音楽とは違って、第1楽章の展開部の音楽が現れる。
その後、23分20秒の所で一旦全集版と同じ音楽になる。
この辺は同じ音楽でも楽器が変わっていることも多い。

http://www.cwo.zaq.ne.jp/kawasaki/MusicPot/index.html

 

マーラー《第1交響曲》フィナーレ

 投稿者:やすのぶ  投稿日:2019年 1月22日(火)11時21分15秒
返信・引用
  https://www.youtube.com/watch?v=cjh2pucllRQ

↑の演奏を聴いて全集版と最も違うところは、
24分20秒あたりからであろう。
全集版では510小節あたりからである。
ここでは、ほぼ提示部の時のような第2主題が現れる。
そして、楽章頭の一撃が現れてそのまま第1主題になる
(今回は序奏的なリズムの繰り返しはない)。
全集版では、衝撃的なヴィオラの咆哮のある所だ。
全集版のこの箇所を聴くと、いつも僕は《新世界から》
ヴィオラの突出を思い出す。マーラーはこれを聴いて
改訂のアイデアを思い付いたのではないかと・・・
一度時系列を確認しないといけないね(笑)

とにかく、588小節の少し前から音楽の流れは
一致しているので、これは金子本の自筆譜分析に
一致するといえよう。

この部分だけを元に戻すと、第2主題が先に再現して
後から第1主題が再現するというブルックナーの
《第七》のフィナーレのような構造が視えて来る。
もちろん《第七》をそのような形式であると理解して
のことだが・・・

http://www.cwo.zaq.ne.jp/kawasaki/MusicPot/index.html

 

マーラー《第1交響曲》フィナーレ

 投稿者:やすのぶ  投稿日:2019年 1月21日(月)11時53分6秒
返信・引用
  https://www.youtube.com/watch?v=kDb80aT-rCg

↑これは、多分この演奏と同時に行なわれたレクチャーの映像。
『マーラー《第1交響曲》の旅:1889年ブダペスト初演から今日まで』
と題されている。ここで現れるブダペスト稿はブルックナーの時にもよく
見られる写譜師によるプロの筆写譜である(7分35秒から他)。
解説は英語なのでよく分からないが、やってることは大体わかる。
この音源は相当処理されているようで、実体がどうなのかは?である。
フラジオなのかどうかなど、僕の装置では逆のような気がするが、
ホルンのファンファーレは当然として、15小節のオーボエには
ブダペストではフルートが付いていたことが分かる。当然、これは
全集版の方が良い。

http://www.cwo.zaq.ne.jp/kawasaki/MusicPot/index.html

 

マーラー《第1交響曲》フィナーレ

 投稿者:やすのぶ  投稿日:2019年 1月17日(木)17時54分56秒
返信・引用 編集済
  それでは、この奇怪な構造の楽章を分析しようと思うのだが、
そのためには、まず当初の形態を把握する必要がある。
資料は、次の2つ。演奏と金子本。

https://www.youtube.com/watch?v=cjh2pucllRQ

金子本p23には、ハンブルク稿フィナーレの使用五線紙についての
記載がある。全集版の小節数では次のように振り分けられるらしい。
  1~326 ブダペスト稿
327~402 ハンブルク稿◎
403~508 ブダペスト稿
509~587 ハンブルク稿●
588~731 ブダペスト稿

ブルックナーの自筆譜の研究からも分かるように、
差し替えとは、普通音楽自体の相当な変更の必要が
生じたときになされるものである。紛失や変更し過ぎの汚濁
による差し替えは、この自筆譜ではないようだ。
してみると真ん中の327~587を見てみると、
両者の構造が一致するかどうかが分かるはずだ。
外側部分はオーケストレイションの変更だけで、音楽の
構造は変わっていないということだ。

http://www.cwo.zaq.ne.jp/kawasaki/MusicPot/index.html

 

続き

 投稿者:やすのぶ  投稿日:2019年 1月17日(木)11時09分28秒
返信・引用
  この楽句は、一種の輪廻転生の思想を音楽で表現しようとしたのかもしれません。
同じものが、再現部としてではなくて、別種のもので再現しているように聴こえるからです。
これは不思議な感覚ですねえ・・・

http://www.cwo.zaq.ne.jp/kawasaki/MusicPot/index.html

 

続き

 投稿者:やすのぶ  投稿日:2019年 1月16日(水)03時29分7秒
返信・引用
  いま気づいたんだけど、元々の形(631~636)では
バスとメロディーが逆になっているんだねえ・・・

メロディー:ソーラードー ドードレミファソー
バ   ス:ドーラーソー ソー・・・ファドー

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375小節re

 投稿者:やすのぶ  投稿日:2019年 1月13日(日)15時49分0秒
返信・引用
  これは伝記でマーラーが自慢していた所ですね。いろいろ
ごちゃごちゃしたものが書いてあるけど、ここは非常に単純な
和声完全優位の部分です。だから分析しやすい(笑)
で、大切なのは「調」と「ベース(最低音)」です。
調的には、ハ長調からニ長調へ至る奇妙な進行に
ヘ長調の薬味を仲介して、三度転調風に料理している
といったところです。
そこでは、1つの調での和音の役割(いわゆるI・IV・V)に
従った変換と調感覚を超えた(三度転調を代表と
した)変換があるわけで、前半の3つはハ長調内で
問題なし。ただ、3つ目はト音(属音)上のハ長調
(いわゆる四六の和音)。
後半の2つは単純な三和音ではなくて、ひねりが
入れてある。4つ目は、ト音上のファラド、
5つ目は変ロ音上の♭シレファ(変ロ長調のドミソ)
の和音。そして6つ目がレ#ファラ(ニ長調のドミソ)。
変ロ長調からニ長調への三度転調の刺激を和らげる
ために、ハ長調の属音を追加し、経過音として変ホ音
ではなくてヘ長調的なホ音が使われているんでしょう。
だから調的には非常に不安定。


http://www.cwo.zaq.ne.jp/kawasaki/MusicPot/index.html

 

375小節

 投稿者:horaboya@管理人  投稿日:2019年 1月12日(土)10時00分31秒
返信・引用
  これを分かりやすく説明して下さい。
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
1回目:370~375小節
[C]→[a]→[C46]、[FonG]→[B46]→[D]
ハ長調 イ短調  ハ長調、 ヘ長調  変ロ長調 ニ長調
CDur:I→VI→I46、 FDur:IonG→IV46、 DDur(三度転調)
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

375のニ長調への強引な感じのする転調は最も好きなところです♪
 

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